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境町へ [友達]

19日AM11:00、境町のとある場所で待ち合わせ。

その場所は、高校時代の恩師で、
3年の時に担任をしてくれた風見先生が眠ってる霊園。
卒業をしてから42年。
その間、何度かクラス会をやり、先生にもお目に掛かれたが、
年を重ね、もうそろそろクラス会やった方が良いんじゃと話していた矢先、
先生が亡くなられ、先生をお招きする事は叶わぬ事となった。

私は、この日、どうしても高速道路で境に行きたくて、
常磐から圏央道で、境に向かったのだが、
3連休のど真ん中の渋滞をなめてた(^^;;;
あの、ど田舎だった境の町中に、高速道路の出口が出来た。
どうしたって、そこから降りてみたいでしょう(^^;;;
偶然の話しなのだが、ここを建設したゼネコンの所長が、
私の知ってる人で、この現場に入った時に、
連絡が来て、仕事を頼みたいと言って貰ったのだが、遠いので断った(^^;;;
「所長、実は、私、そこにある境高校出身なんですよ」と告げると、
「じゃあ、いつもより丁寧に作りますよ(^^;;;」と言ってくれた。
と言う事で、20分近く遅刻した(^^;;;;

向かう道中で、色々な事が頭の中に浮かんでは消えを繰り返す。
先生の事、友達の事、彼女の事、部活の事等々、止めどとなく浮かぶ。
「登美雄。お前の右手の人指し指は、やけに黄色いな」
地理の授業を受けている時、風見先生が、
俺達の間を回りながら教科書を読んでる時、登美雄の横で立ち止まりこう言った。

良い子は、決して真似をしちゃいけないんだけどね、
奴は、いつも根元までタバコを吸っていたので、指がヤニで黄色に・・・。
「どうしたら、そんなになる?」
「どうしたらも、こうしたらも先生、オレ、さっきミカン食い過ぎちゃってよ」
この瞬間、全員大爆笑。
「お前、今、どこに行ったらミカン買えるんだ?」とゲンコを一つ貰ってた。
その登美雄も、数年前、心臓麻痺で亡くなった。

私は、授業も部活も適当だったし、恋愛も適当だった。
今の子供達に、一生懸命になんて言える立場じゃねえ(^^;;;
最たるのは、学校は休み、部活だけ行く。ダメだんべなな(^^;;;;
「お前、何であんな男と付き合ってる」と言われる様な野郎だったしね。
それでも、この日会う友達は、そんな私に説教をし、止めろと言ってくれた奴らだ。

霊園に着くと、やっぱ私が、一番最後に到着でした。
みんなの所へ行き、「遅れちゃって、悪い悪い」と言いながら
顔を見たが、最初、誰が誰だか分からない。
「わぁ~、誰だか分かんねえべな」と言うと、
意地悪そうに、「だ~れだ」と言って来た(^^;;;
だけどね、発見したのは、目を瞑って声だけ聞くと分かるんだよ。
「オメエ、舟木だ、、で、マコちゃんと一雄君、オメエ、進ちゃんか」
全員、漏れなく60歳なんだけどね、タイムスリップの瞬間でした(^^;;;;

だが、これでも分からないのが女子(^^;;;
先生のお墓の場所まで歩いて行く途中に、「あれ誰よ?」と
他の奴らにも聞いたが、みんなも、分からない子がいた(^^;;;;;
その声が届いたのか、女子の1人が近づいてきて
「私は、誰でしょう?」とオレに言ってきた(^^;;;「悪いけど、ジンちゃんは、わかんぞ(^^)」
旧姓、猪〇仁子。猪〇食堂の娘。部活帰りに、この食堂で、ソース焼きそば食った。
オレらのクラスで一番最初に、大学合格を決めた子だった。
今は、福島に嫁いで、既にお婆ちゃん(^^;;;

先生のお墓参り。
DSC_0630.JPG
墓標には、息子の純と先生の名が刻まれてた。
先生の長男の純は、オレらと同学年。
高校は、下妻一高で、京都大学に進んだが、8年前に病気で亡くなった。
1人1人、お線香を手向けて行き、私の番が来た。
涙が出るのを我慢した。誰も泣いちゃ居ない。
「先生、ご無沙汰し過ぎてスミマセンでした。
桜井と登美雄が、そっちに居ると思いますので、よろしくお願いします」
と、先生にお願いをした。
あれから、何十年も経ってるのに、
未だに、お願い事してる生徒は、ダメな生徒だな(^^;;;

場所を変え、昼食をみんなで頂いた。
クラスは違ったが、同じ卒業生のやってるお店の「海鮮」
いや~~、出てくる出てくる、「おめえ、もう食えねえべよ」と言ったが、
これでもかって言うくらいに料理を出してくれた。ありゃ、きっと赤字だぞ(^^;;;
今日も、クラス会って言っちゃクラス会なんだけどね、
次のクラス会決めを行い、時間を空けるとやらねえから
今年の8月6日にやろうと決めた(^^;;;;
ジンちゃんの提案で、飯坂温泉一泊バス旅行だって\(^o^)/

さん付けや、役職で呼ばれる事が多い毎日だが、
今日の、呼び捨て、君付けが、実に新鮮で心持ちが良い。
次のクラス会を決めたので、この日は早いが解散。
8月を楽しみにと言う事で、みんなと別れた。
行きは高速だったが、帰りは下で帰ろうと決めてた。
「バイバイ、またね」と手を振ってサヨナラをしたが、
私は、そのまま帰路に付かず、再度、先生のお墓に行った。

何て事は無い、当時も有ったが、
先生は、在校中に随分と私を心配をしてくれていて、
時々、私だけを職員室に呼び話ししてくれた。
何か、この日も先生に呼ばれた気がした。
「なんだい先生?」と、ぞうきん片手に墓石を拭きながら聞いたが、
・・・別に、何も答えちゃくれない。でも、ホンワカとした暖かい何かを感じた。
「先生、今度は嫁さんと娘達連れてくっからな」と言って墓を後にし、
そのまま、我が母校、境高校正門前まで行った。
DSC_0639.JPG

学んだ場所と言うより、もっと別の何かの場所。と、思いたい自分が、どこかに居る。
でも、ここで確かに色々な事を学んだのだ。
いい加減で、チャランポランな子供だったが、それなりの青春を過ごした場所だが、
友達とかを別にし、白か黒か的な答え方で言うと、私の、高校時代は後悔だ。
でも、戻っちゃ来ないんだね。なので、良い様に解釈をしようとする時がある。
時間にして、自宅から1時間ちょっとの場所なのだが、
時に遠く、近寄りがたい場所でも有った。
40数年が経つが、ホントに、オレが来ちゃって良い場所なのだろうかと思う。
これは、他でもなく自分の中の自分に問いかけられてる事。
だが、表立ってる自分は、友達から声を掛けられるとホイホイと行く。

「ふるさとは、遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」
私にとって境町は、決して冷たくはない古里だが、
私の中の後悔が、この詩を連想させる。
だから余計に、今の高校生達に、後悔をして欲しく無いので、
キツく言ってしまう事があるのかも知れないです。奴らには、良い迷惑だな。

時間が早かったので、自宅では無く、葛総に向かった。
この日、午後から、ウチで練習試合をしていた。
16時近くに到着、最後の1セットには間に合った。
ウチの試合が丁度終了し、顧問の回りに子供達が集まっていたので、
そのまま、江北の石〇先生の所へ、ご挨拶に行った。
「先生、今日、ここに尋ね人が来ませんでしたか?」と先生に尋ねると、
「来ましたよ(^^)イヤ~、良かった会えて」
先生の教え子で、金町の親爺である〇島さんに、
親爺の会で話した時、練習試合の事を告げると、
先生に会いに行きたいと話していたので、是非に言った。

この日、江北の子供達が不甲斐なかった様で、
「このまま、江北のベンチに入って」と、私に先生が言うので、
そのまま、隣コートの江北ベンチへ・・・。
江北の子供達が、私に気が付き「こんにちは!」と挨拶をしてくる。
が、そのまま、私がベンチに座ると驚いた表情。
「先生が、おじさんにベンチに入れって言うんだよ(^^;;;」
と言う事で、そのままベンチに。
「集合」キャプテンのミホの声で私の前に集合して来たので、
「おじさんさ、今日、クラス会して来たんだよ(^^)」と言うと笑ってた。

でもね、いつかは先生来ると思ってたんだけど、結局、最後まで来ない(^^;;;
ベンチには江北の卒業生2人が居てくれたので、
「先生、呼んできてよ」と言ったが、全然、呼びに行かない。
その内、この江北のプレーが気に成ってきて、声を掛け始めた。
でも、この日、最後のセットだったのに、負けてしまいましたとさ(^^;;;;申し訳。

試合が終わると、まだ、〇島さんが体育館にいて、ご挨拶をした。
「明日は、送別会来る?」と聞くと「仕事です」と答えが返って来た。
〇島さんも、私も、今日は、恩師に会えた良き日だった。

今日、集まった友達達で、一番多いのが教師。次に、役人。
60で定年の迎え、今度の仕事の話しで、嘱託みたいな再雇用の事や、
私には、分からない話が沢山出ていた。
校長先生だった奴とかね、「校長?ウソだんべ?」って話しだ。
若い頃の話しは、御法度。3人ほどに釘を刺された(^^;;;;
「何なら、匿名で仕事場にメールでも打つか?」と言うと、ヘッドロックされた(^^;;

私だけで無く色々な思いを抱いて、今日を迎えた人もいるのかも知れない。
でも、そんな事を超越した。
改めて、友達の存在って良い物だと再認識した日に成った。







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